実家の蔵の戸を開けて、桐の箱がずらりと積み上がっているのを見たときの、あの何とも言えない気持ち。私は仕事柄、何度も立ち会ってきました。十本、二十本と出てくることも珍しくありません。そしてご家族はたいてい、同じことをおっしゃいます。「開けたところで、何が何だか分からないんです」と。

はじめまして。「蔵と押入れのお宝手帖」を書いております、織部宗一郎と申します。古美術の店に三十年ほど勤め、退職した今は骨董市を巡りながら、こうした文章を書いております。

この手帖でお伝えしたいのは、真贋の判定ではありません。写真や短い文章で「これは本物です」と言い切れるほど、掛け軸は易しいものではないからです。そのかわり、ご自分の手で「これはもう手放してよい」「これは人に見てもらったほうがよい」を仕分けるための、物差しをお渡ししたいと思います。

蔵の片づけには期限があります。限られた時間と気力を、本当に見るべき一本に向けていただくために。捨てるのは、いつでもできます。調べるのが先です。

蔵から出てくる掛け軸の大半は、値がつきません

最初に、あまり気持ちのよくない話から始めます。がっかりさせるためではありません。全部に同じだけの労力をかけていては、片づけが終わらないからです。

数字が示す、美術品の現実的な価格帯

文化庁は毎年、日本の美術品市場の規模を調べて公表しています。国際的なアート市場における日本市場の現状調査によりますと、2024年の日本のアート市場(骨董品を含みます)の売上は6億9,200万ドル、日本円にしておよそ1,031億円と推定されています。

このレポートで私がいつも注目しているのは、市場規模そのものよりも、価格の分布のほうです。同じ調査によれば、日本のオークションで落札された作品の98%が5万ドル未満、そして半数は1,000ドルにも届いていません。さらに、出品された作品の21%は買い手がつかず、売り主のもとへ戻っています。

美術品として市場に出された品ですら、この分布です。蔵から出てきたばかりの掛け軸となれば、なおのこと。私の見てきた範囲でも、査定に持ち込まれる掛け軸のうち、数万円を超えるものはひと握りでした。

国が絵画として指定しているのは、全国で二千件あまり

もうひとつ、感覚をつかんでいただける数字があります。文化庁が公表している文化財指定等の件数によると、令和8年8月1日現在、絵画で国宝に指定されているのは167件、重要文化財が2,070件(この数には国宝が含まれます)です。書跡・典籍を合わせても、四千件あまりにしかなりません。

登録有形文化財の美術工芸品に至っては、全国でわずか18件です。日本中の蔵と美術館と寺社に伝わる膨大な数の書画のうち、国が名前を付けて守っているのは、その程度の数だということになります。

だからご自宅のものに価値がない、という話ではありません。指定文化財と、市場で値のつく品と、値のつかない品は、それぞれ別の物差しで測られます。ただ「うちのは相当古いから」という理由だけで期待を膨らませるのは、あとで落胆するもとになります。

蔵から出てくる掛け軸、四つの典型

三十年間、実家の整理に伴って持ち込まれた掛け軸を見てきて、その大半は次の四つのどれかでした。

  • 印刷でつくられた複製の掛け軸。昭和期に頒布品や贈答品として広く出回りました
  • 名の知られていない作り手による、床の間に掛けるための山水画や花鳥画
  • 仏壇のなかや脇に掛けられていた御本尊、脇掛、法名軸
  • 会社の記念、退職の祝い、揮毫会などでいただいた書

このうち、市場でまとまった値がつく可能性があるのは、二番目のごく一部だけです。一番目の複製は原則として値がつきません。三番目は宗教用具ですから、売買の対象というより、宗派の作法にのっとって手放すものです。四番目は、書いた方が高名でない限り、記念の品にとどまります。

ただし、この四つに当てはまらない一本が混じっていることがあります。その一本を見つけるために、ここから先を読んでいただければと思います。

まず、開ける前の段取りを整えてください

見分け方の前に、開け方の話をさせてください。ここを飛ばして箱を開け、あとで悔やまれた方を何人も見てきました。

蔵と押入れは、掛け軸にとって過酷な場所です

国宝や重要文化財の修理を担う一般社団法人 国宝修理装潢師連盟の解説によれば、紙や絹、木でできたものにとって望ましいのは、温度20℃程度、湿度50〜60%RHの環境だとされています。そしてカビは、湿度が60%RHを超えればどこでも発生しうる、とも書かれています。

日本の夏の蔵が、この条件を満たしていることはまずありません。つまり、蔵から出てきた掛け軸は、多かれ少なかれカビの影響を受けていると考えたほうが現実的です。

カビは人の体にも障ります。同じ連盟も、除去作業には防塵マスクや手袋を着用し、換気を徹底するようにと注意を促しています。喘息やアレルギーをお持ちの方は、無理をなさらないでください。

用意していただきたいもの

大げさな道具は要りません。次のものがあれば十分です。

  • 防塵マスクと、木綿の白手袋
  • 掛け軸を広げる場所に敷く、きれいな綿の布か毛布
  • 手元を照らす懐中電灯かスタンド
  • 十倍前後のルーペ
  • 写真を撮るスマートフォン
  • 鉛筆とメモ用紙、そして番号を書いた付箋

ルーペは、老眼鏡売り場や文具店で千円ほどのもので構いません。これがあるかないかで、判断できることの量がまるで変わります。

桐箱を開けるときの作法

紐は、はさみで切らずにほどいてください。結び方そのものが、仕立てた表具屋の癖を残していることがあります。

蓋を開ける前に、蓋の表と裏を読んでください。ここに書かれた文字を「箱書き」と呼びます。作者本人が書いたものであれば、それだけで大きな手がかりです。箱書きについては当手帖の別記事でも取り上げていますので、あわせてご覧ください。

そして、箱のなかの紙は、どれも捨てないでください。軸を包む薄紙、たとう紙、隅に押し込まれた小さな紙片。展覧会の出品札、購入時の領収書、先代が書き残した由来のメモが出てくることがあります。私の経験では、こうした紙切れが査定の場面で一番効きました。

広げ方は「掛けずに、畳の上で」

つい床の間に掛けてみたくなりますが、おすすめしません。掛緒(かけお)という上部の紐と、それを留める金具は、掛け軸のなかで最も傷みやすい部分です。数十年放置された紐が軸の重みに耐えられず床に落ちる事故を、私は何度も見ています。

畳か、布を敷いた床の上で、次のように広げてください。

  1. 巻き留めている紐(巻緒)を、丁寧にほどく
  2. 両手で軸木を持ち、手前にゆっくり転がすように広げる
  3. 上部の風帯(ふうたい)が折れ込んでいたら、指で押さえずに軽く払って戻す
  4. 全体が見えたら、そこで手を止める

急いで引っ張ると、本紙が横に裂けます。掛け軸の紙は、目に見えないところですでに弱っていると思ってください。

掛け軸の各部の名前を知ると、見る場所が定まります

「どこを見ればいいのか分からない」という戸惑いの正体は、たいてい名前を知らないことにあります。名前が付くと、見る場所が定まります。

掛け軸は「本紙」と「装丁」に分かれています

先ほどの国宝修理装潢師連盟は、掛け軸のような文化財を「書画が描写された作品そのものである本紙」と「それを支え保護し装飾する装丁」に分けて説明しています。この分け方が、そのまま価値の見方につながります。

価値の中心は、あくまで本紙です。装丁、つまり表装は、本紙を守り、見栄えを整えるための衣装にあたります。

主な部位の名前

部位読みどこにあるか
本紙ほんし書や絵そのもの。中央の作品部分
一文字いちもんじ本紙の上下に接する、細い裂地(きれじ)
中廻しちゅうまわし一文字の外を囲む裂地。左右の縦部分は「柱」
天地てんちいちばん外側の上下。修理の用語では「上下」
風帯ふうたい上部から垂れる二本の帯。先端の房を「露」と呼ぶ
八双はっそう上端に入っている芯の棒
掛緒・巻緒かけお・まきお掛けるための紐と、巻いて留める紐
軸木じくぎ下端の丸い棒
軸首(軸先)じくしゅ(じくさき)軸木の両端に付いている飾り
肌裏紙はだうらがみ本紙の裏に直接貼られている紙
総裏紙そううらがみいちばん外側の裏紙

すべてを覚える必要はありません。本紙、箱書き、落款、軸先。この四つの言葉さえ頭に入れておけば、この先の話には十分ついてこられます。

裏打ちには、五十年から百年で寿命が来ます

これは知っておいていただきたい話です。掛け軸は、本紙の裏に何層もの紙を貼り重ねて仕立てられています。この裏打ちがあるからこそ、巻いたり広げたりができるわけです。

そして先の連盟の解説によれば、本紙と裏打紙を接着している小麦でんぷん糊の接着力が弱まるのが、およそ五十年から百年。この間に裏打紙を取り替える修理をすることが適切とされています。

蔵で何十年も眠っていた掛け軸は、この打ち替えの時期をとうに過ぎている可能性が高い。「久しぶりに広げたら、本紙がぼこぼこ浮いていた」「折れたところがぱりっと割れた」という現象は、多くの場合、作品が悪いのではなく、裏打ちの寿命が来ているだけです。中身が良ければ、直せます。

第一関門は「肉筆か、印刷か」

ここが最大の分かれ道です。印刷の複製であれば、残念ながらその先の議論はほとんど意味を持ちません。逆にここを通過すれば、時間をかけて調べる価値が出てきます。

ルーペで網点(あみてん)を探す

いちばん手軽な方法は、ルーペで本紙の表面をのぞくことです。線の内側に、規則正しく並んだ細かい点が見えたら、印刷である可能性が高くなります。この点を網点と呼びます。

絵よりも、書のほうが分かりやすいと思います。墨の太い線をルーペで見て、粒が整然と並んでいたら、まず印刷です。

ただし、網点が出ない印刷があります

ここから先は、あまり書かれていない話です。

網点が見えなかったからといって、肉筆と決まるわけではありません。網点が出ない複製技法があるからです。代表がコロタイプという写真製版の技法で、明治以来、文化財の複製に広く使われてきました。木版で摺った複製画も、当然ながら網点は出ません。

コロタイプの複製は、驚くほどよくできています。私も店にいた頃、一瞬迷ったことが何度もあります。「網点がないから本物だ」という思い込みだけは、どうか避けてください。

絹の織り目を、網点と間違えない

逆の間違いもあります。絹に描かれた作品(絹本といいます)は、縦横の糸が規則正しく並んでいますので、ルーペで見ると点の集まりのように見えることがあります。

これを網点と読み違えて「印刷だ」と決めつけてしまうと、大変もったいない。見分けるには、光の当たる角度を変えて、斜めから見てください。織り目であれば、布としての凹凸と、糸のたわみが見えます。

光を斜めから当ててみる

平らな面に置いて、懐中電灯の光を横から浅い角度で当ててみてください。肉筆であれば、墨や絵具の厚みがわずかな影をつくります。とくに白い胡粉(ごふん)や、濃い墨を重ねた部分は、触らなくても盛り上がりが分かります。

印刷はどこまでいっても平坦です。「妙にきれいだ」「全体がのっぺりしている」と感じたら、疑ってみる値打ちがあります。

落款の朱印を見る

作品の隅に押された朱い印。ここは特に差が出ます。

本物の印であれば、朱肉が紙や絹の繊維にわずかに沈み、同時に表面がほんの少し盛り上がります。ルーペで見れば、繊維の一本一本に朱が絡んでいるのが分かります。印刷の複製は、この朱印まで絵と同じ平面に刷られています。

見分けの目安

見るところ肉筆に多い特徴印刷に多い特徴
表面の凹凸墨や絵具がわずかに盛り上がる全体に平坦
線の入りと抜け筆の勢いに強弱の差があるどの線も均質に見える
墨の濃淡一筆のなかでむらが生じるむらまで含めて均一に再現される
落款の朱印朱肉が沈み、わずかに盛り上がる絵と同じ平面に刷られている
ルーペで見た粒墨の粒子は不規則規則正しい点が並ぶことがある
裏側墨が裏へにじんでいることがある裏には何も出ていない

それでも分からないときは、分からないままで

正直に申し上げます。この見分けは、実物を手にしても迷うことがあります。ですから、判断がつかなかった一本は「分からない」の山に置いてください。捨てる山に入れなければ、いつでもやり直せます。

落款と箱書きから、作者をたどる

肉筆らしいと判断できたら、次は誰が描いたかです。

落款は「署名」と「印」の組み合わせ

作品の隅にある署名と印を、あわせて落款(らっかん)と呼びます。多くは左下か右下に、縦書きの署名と、その下に一つか二つの朱印が押されています。作品の右上に細長い印が押されていることもあり、これは関防印(かんぼういん)と呼ばれるものです。

読めなくて当然です。崩し字の署名は、その道の人でも読めないことがあります。読めないから価値がない、ということには一切なりません。

読めない字への向き合い方

  • 一文字ずつ、意味ではなく形として書き写してみる
  • 図書館で落款や書画の人名を集めた事典を引く(郷土資料の棚にあることが多いです)
  • 画題や落款の位置と組み合わせて、時代の見当をつける
  • 鮮明な写真を撮って、詳しい人に見てもらう

ここで無理をして「たぶんこの作家だ」と決めてしまうと、その思い込みが後の判断を歪めます。似た号を持つ書き手は、いくらでもいますので。

共箱、合わせ箱、極め箱の違い

箱には、大きく三つの種類があります。

  • 共箱(ともばこ)は、作者自身が箱に作品名や署名を書いたもの
  • 合わせ箱(あわせばこ)は、後から寸法の合う箱に納めたもの
  • 極め箱(きわめばこ)は、鑑定を託された人物が「これは本物である」と書き付けた箱

共箱があれば有利です。ただし、共箱がないから値がつかないわけでもありません。江戸期以前の作品には、そもそも作者が箱を用意する習慣がなかったものも多くあります。

箱と中身が入れ替わっていることがあります

これも意外と語られない話です。

蔵で長い年月が過ぎるうちに、箱と軸が入れ替わってしまうことがあります。かつて虫干しをした際に戻す箱を間違えた、というだけの理由でも起こります。私が店で預かった品でも、箱書きの作者名と本紙の落款がまるで別人、というものが少なからずありました。

確認は、そう難しくありません。

  • 箱に納めたとき、寸法にゆとりがありすぎたり、逆に窮屈すぎたりしないか
  • 箱書きに書かれた作品名と、実際の絵柄が合っているか
  • 箱書きの署名と、本紙の落款の書きぶりが似ているか

食い違っていても、慌てないでください。箱が違うだけで、中身が偽物と決まるわけではありません。ただ、その事実は査定の場で必ず伝えてください。黙っていて後から発覚するより、はるかに心証が良いのです。

表装と軸先が教えてくれること

立派な表装だから価値が高い、ではありません

金襴の裂地を使った、いかにも豪華な表装。これを見て「これは良い品に違いない」と思われる方が本当に多いのですが、私の見てきた範囲では、その相関はかなり弱いものでした。

理由は単純です。表装は着替えができるからです。掛け軸は数十年ごとに仕立て直しますので、そのたびに裂地を選び直せます。複製の絵に立派な表装を付けることもできますし、名品が質素な仕立てのまま伝わっていることもあります。とくに茶席で使う軸は、あえて簡素に仕立てるのが良しとされてきました。

表装の豪華さは、その掛け軸を持っていた方が、どれだけこの一本を大事にしたかを示すことはあります。それは作品の値打ちとは別の話です。

とはいえ、表装が何も語らないわけではありません。細身に仕立てられていれば茶室で使うための軸かもしれませんし、金色の裂地に厳めしい仕立てであれば仏事のための表装かもしれない。表装は、値打ちよりも「何のために作られた一本か」を教えてくれます。

軸先の素材を見る

私が現場でよく見たのは、軸木の両端に付いた軸先です。ここは素人の方でも比較的判定しやすく、しかも見落とされがちな場所です。

  • 象牙は乳白色で、表面に細かな筋が縞のように走り、手に取るとひんやりした重みがあります
  • 鹿角は黒っぽい点や斑が混じるので、比較的見分けやすい素材です
  • 黒檀や紫檀は、重みがあり、木目が詰まっています
  • 陶磁や塗りのものは、茶道具まわりの軸によく使われます
  • 白や象牙色のプラスチックは、手にしたときに軽く、温度を感じません

プラスチックの軸先であれば、量産された比較的新しい仕立てである見当がつきます。逆に象牙が使われていれば、それなりの手間をかけた一本だと考えてよいでしょう。

ひとつだけご注意を。象牙は取引に法律上の決まりごとがあります。軸先のような小さな部品であっても、手放す際は扱い慣れた業者に事前にご確認ください。

保存状態は、どこからが致命傷か

「シミだらけだから捨てます」というお言葉を、私は何度も止めてきました。傷みには、直せるものと、戻らないものがあります。

減点で済むもの、価値が戻らないもの

状態直せるか価値への影響
巻きジワ、浅い折れ仕立て直しで整うことが多い小さい
表装の裂地のほつれ、退色表装を替えれば新しくなる小さい(費用はかかります)
薄い茶色の点(フォクシング)ある程度は軽減できる中くらい
広い範囲のカビ除去しても跡が残ることが多い大きい
虫食いの小さな穴同質の紙で補える中くらい
本紙の欠損(絵柄が失われている)補えるが、元には戻らない大きい
全体の日焼け、変色戻りません大きい
本紙が裏打ちから浮いている打ち替えで直る小さい〜中くらい

この表を眺めていただくと、傾向が見えてくると思います。表装や裏打ちの傷みは、費用さえかければ回復します。本紙そのものが失われた部分は、戻りません。

つまり、判断の基準は「絵や字そのものが、どれだけ残っているか」です。

カビは湿度60%を超えれば、どこにでも出ます

先ほど触れた国宝修理装潢師連盟の解説では、カビの栄養源として文化財そのもののほか、埃や手垢が挙げられています。つまり、掃除されていない蔵は、カビにとって食べ物が置かれた環境だということになります。

カビを見つけたら、まずその一本を他から離してください。胞子は広がります。そして、決してご自分で拭き取らないでください。理由は、次にお伝えします。

状態が悪くても、まずは見せてください

私が古美術の店で最も悔やんだのは、ご家族が「こんなに汚いものを見せるのは恥ずかしい」と、良い一本を先に処分してしまわれたときです。査定する側にとって、汚れているかどうかは前提条件にすぎません。見たいのは、汚れの下にある本紙です。

良かれと思ってやったことが、価値を消します

ここは、声を大にしてお伝えしたいところです。

してはいけないこと

  • 濡れた布で拭く
  • 消しゴムや砂消しをかける
  • カビをアルコールや除菌スプレーで拭う
  • 破れをセロハンテープや両面テープで留める
  • 日光に当てて干す
  • ドライヤーやストーブの前で乾かす
  • 貼られたシールや値札を無理に剥がす
  • 自分で表装を直す、切り貼りする
  • 箱書きの汚れを落とす

どれも、片づけの現場で実際に行われていたものばかりです。そして、どれも取り返しがつきません。

なぜ触ってはいけないのか

掛け軸の本紙は、紙と糊だけで支えられています。水分が入れば、水に溶ける汚れが移動して新しいシミをつくり、色料がにじみ、紙どうしが貼り付きます。国宝修理装潢師連盟も、水に濡れた場合の危険と、急激な乾燥が変形や崩壊を招くことを明記しています。

セロハンテープは最悪です。粘着剤が紙に染み込み、数年で茶色く変色します。修理の現場では、このテープを剥がすだけで何日もかかることがあります。

そして専門の修理には、「線や色など表現を加える行為をしない」「次の修理時期に再度修理が可能な材料と技術で修理する」といった原則があります。素人が良かれと思って手を入れる作業は、この原則をことごとく破ってしまいます。骨董品を素人が磨いてはいけない理由については、当手帖の別記事でも書いております。

してよいのは、桐箱の外側の埃を乾いた柔らかい布でそっと払うところまで。それ以上は、専門家に任せてください。

記録の取り方。撮っておくべき五カット

査定を頼むにしても、家族で相談するにしても、記録があると話が早く進みます。一本につき、次の五枚を撮っておいてください。

  • 掛け軸の全体を、真上から一枚
  • 落款(署名と朱印)を、画面いっぱいに一枚
  • 桐箱の蓋、表と裏の書きつけ
  • 軸先を近づけて一枚
  • シミや破れなど、傷んでいる箇所

撮るときは、蛍光灯の下ではなく日中の窓辺の明るさで、真上から、自分の影が入らないように。斜めから撮った写真は寸法も色も歪み、後から見返しても役に立ちません。

そして、箱と軸に同じ番号を書いた付箋を貼ってください。何本もまとめて開けていると、必ずどこかで取り違えます。メモに書くのは、番号、箱書きの文字、縦横の寸法、気づいたこと。それだけで十分です。

「ありそう」「なさそう」、それぞれの出口

見てもらうと決めたら

一か所で決めないことです。掛け軸は評価の幅が大きく、扱い慣れた相手とそうでない相手とでは、提示される額がまるで違ってきます。骨董や書画を日常的に扱っている先を選び、できれば複数の目に触れさせてください。額の高い低いより先に見るべきは、その額の根拠を順を追って説明してくれるかどうかです。

もうひとつ。ご高齢のご家族だけがいるお宅に突然訪ねてくる買い取り業者には、ご注意ください。訪問して買い取る取引には法律でクーリング・オフの制度が定められています。その場で即決させようとする相手には、はっきりお断りになってよいのです。

鑑定という選択肢について

「鑑定書がないと売れないのでしょうか」というご質問をよくいただきますので、実際のところを書いておきます。

美術品の鑑定を行っている機関のひとつに、東京美術倶楽部の鑑定委員会を引き継いだ一般財団法人 東美鑑定評価機構があります。同機構の鑑定業務のご案内によれば、日本画の鑑定委員会は毎月9日に開かれ、鑑定料は1点あたり10,000円から50,000円、鑑定証書費は日本画・洋画で30,000円とされています。

ここで押さえておきたいのが、鑑定証書は真作と鑑定された作品についてのみ発行される点です。つまり、費用を払っても証書が出ないことがあります。同機構は、偽造された鑑定証書への注意も呼びかけています。

ですから私は、売却を考えるだけであれば、まず無料の査定を受けることをおすすめしています。数万円かけて鑑定する価値があるかどうかは、査定の結果を見てから判断すれば十分です。鑑定書・共箱・由来書といった裏付けの考え方は、当手帖の別記事でも整理しています。

値がつかなかったときの手放し方

ここまで確かめて、それでも値がつかない一本が残ります。むしろ、そちらが大半です。

仏壇まわりの御本尊、脇掛、法名軸は、宗派によって作法が異なります。菩提寺があれば、まずご相談ください。閉眼供養やお焚き上げを引き受けている寺社もありますが、費用も手順も差がありますので、必ず事前にご確認を。

宗教用具でない掛け軸は、多くの自治体で可燃ごみとして扱えます。ただし軸先がプラスチックや金属であれば分別が要りますし、長いままでは出せないこともあります。お住まいの自治体の区分をご確認ください。

相続で分ける前に、ひと呼吸

ご兄弟のどなたかが単独で処分を決めてしまうことは、避けたほうが賢明です。書画骨とう品は相続財産に含まれ、国税庁の財産評価基本通達では、売買実例価額や精通者意見価格などを参酌して評価すると定められています。まとまった価値のあるものが出てきたら、税理士にご相談ください。

そして何より、あとから「あれは祖父が大事にしていたのに」という話が出ると、片づけの何倍も長く尾を引きます。開けた時点で写真を撮って共有しておく。それだけで多くの揉め事は防げます。

よくいただくご質問

作者が分からない掛け軸に、価値はありませんか

作者不明でも値がつくことはあります。時代が古いもの、画題が珍しいもの、地域の歴史と結びつくものなどです。ただ率直に申し上げれば、作者が分からないまま高値がつくのは例外的です。まずは落款と箱書きを手がかりに調べ、分からなければそのまま見てもらうのが早道です。

鑑定書がないと、売れないのでしょうか

売れます。鑑定書は評価を後押しする材料のひとつであって、必須の書類ではありません。共箱、由来書、購入時の資料など、来歴を示すものが揃っていれば、それが同じ役割を果たします。

シミだらけでも、査定してもらえますか

してもらえます。先ほどの表でご覧いただいたとおり、直せる傷みと直せない傷みがあり、その線引きは実物を見なければ判断できません。汚れを理由に持ち込みをためらう必要は、まったくありません。

中国の掛け軸は高いと聞きましたが

中国の書画に高値がつく例があるのは事実です。ただし同時に、複製や模作も膨大に流通しています。「中国のものだから高い」という思い込みは危うく、真贋の判断は日本の書画よりむしろ難しい領域です。中国の落款が入っていたら、なおのこと専門家に見てもらってください。

印刷と分かった掛け軸は、捨ててよいですか

判断はご家族のものですが、ひとつだけ。文化財の原寸複製など、複製そのものに手間と技術がかかっているものもあります。表装が良ければ、本紙を替えて仕立て直すこともできます。飾って気持ちが和むのであれば、そのまま床の間に掛けておかれてもよいのです。

まとめ

長くなりましたので、仕分けの手順だけ振り返らせてください。

  1. マスクと手袋をつけ、畳の上で、掛けずに広げる
  2. 箱書きと、箱に入っていた紙をすべて確保する
  3. ルーペと斜めからの光で、肉筆か印刷かを確かめる
  4. 落款と箱書きから、作者の手がかりを探す
  5. 本紙そのものがどれだけ残っているかで、状態を判断する
  6. 五枚の写真を撮り、番号を振って記録する
  7. 分からない一本は「分からない」の山に置いておく

七番目が、いちばん大切です。分からないものを分からないまま抱えておくのは、片づけのさなかには正直しんどいことだと思います。それでも捨てる山に入れなかったというだけで、選び直す機会は残ります。

私がこの仕事でいちばん心に残っているのは、解体前日に親族の方がふと相談してくださったおかげで、瓦礫になる寸前で救われた茶道具のことです。あの一日の差を思うと、今でも背筋が冷たくなります。

蔵の中の一品は、ご先祖からの預かりものです。手放すことは裏切りではなく、次の百年への橋渡しだと私は思っています。ただしそれは、値打ちを確かめたうえでの話です。捨てるのは、いつでもできます。どうか、調べるのを先になさってください。